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![]() | コミュニケーションをデザインするための本 (電通選書) (2008/09/03) 岸 勇希 商品詳細を見る |
『明日の広告』の著者、さとなおさんのブログ「さとなお.com」で紹介されていたので、
さっそく購入。
電通は、最近、「コミュニケーション・デザイン」という宣伝を
流行らせようとしているらしい。
『明日の広告』『クロススイッチ』、
そして、
今回、購入したこの『コミュニケーションをデザインするための本』。
いいですね〜
大手広告代理店は、本を出してもそれがPRにつながるんだから。
……と、嫌味を言うために、この本を取り上げたのではなく、
読んでて実際、いろんな箇所に感銘を受けたので取り上げてみました。
印象に残ったのは、
クライアントから「傘がほしい」と言われて「いい傘」を作るのではなく、
その奥に込められた「雨に濡れたくない」という気持ちを汲み取り、
その気持ちに答える解決策を提案する。
これが、コミュニケーション・デザインだ、という説明。
禅問答のようでもありますが、実に本質をついた素晴らしい説明だと思いました。
実際、本書に紹介された豊富な事例を見ても、それが実践されているのがわかります。
特に、第3章は、すごかったね。
この岸さんという方のプランニング・プロセスが明らかにされている。
すごく参考になりました。
必ずしも広告業界の人でなくとも、この思考方法で物事を考えるとき、
かなりクリアに問題解決ができるようになるのではないでしょうか。
いいですよ、この思考の枠組み。
実にクレバーな人ですね。
この岸勇希さんという方は、おそらく「コミュニケーション・デザイン」という概念を
一番よく理解して、使いこなしている方なのでしょう。
いい本に出会えました。
ひさびさの大推薦です。
もう一回、読もうっと。
ブログ論壇の誕生
佐々木俊尚著「ブログ論壇の誕生」を読んだ。
個人の意見を伝えるメディアとしてのブログとマスコミを巡る様々なエピソードが紹介されている。
おそらくこの著者は、独自の考察や思想ではなく、現在起きている事象をまとめることをもって本書の価値としているのだろう。
確かにウェブにまつわる事件簿だと思えば、面白い本である。
特に個人的には、第2章「あらたにす」が面白かった。「あらたにす」とは朝日・読売・日経の三紙合同ポータルサイトのこと。私は名前しか知らなかったが、新聞社側のピント外れなウェブへの取り込みとそれに対するブロガーの辛辣で的確な意見が実に興味深かった。
「ネット社会での新聞社の発言力、影響力を高めたい」という上目線の態度で挑んだ三大新聞社の挑戦はウェブという場のルールを理解できず、失敗に終わった(らしい。まだ確認していないので、確認次第、続報します)
何事にも謙虚さと聞く耳を持って素直に学ぶ姿勢って大事ですよね。
そんなことを強く自戒した秋分の夜でした。
個人の意見を伝えるメディアとしてのブログとマスコミを巡る様々なエピソードが紹介されている。
おそらくこの著者は、独自の考察や思想ではなく、現在起きている事象をまとめることをもって本書の価値としているのだろう。
確かにウェブにまつわる事件簿だと思えば、面白い本である。
特に個人的には、第2章「あらたにす」が面白かった。「あらたにす」とは朝日・読売・日経の三紙合同ポータルサイトのこと。私は名前しか知らなかったが、新聞社側のピント外れなウェブへの取り込みとそれに対するブロガーの辛辣で的確な意見が実に興味深かった。
「ネット社会での新聞社の発言力、影響力を高めたい」という上目線の態度で挑んだ三大新聞社の挑戦はウェブという場のルールを理解できず、失敗に終わった(らしい。まだ確認していないので、確認次第、続報します)
何事にも謙虚さと聞く耳を持って素直に学ぶ姿勢って大事ですよね。
そんなことを強く自戒した秋分の夜でした。
そう。あの有名な、シェイクスピア。
誰でもとりあえず、
名前だけは知ってるけど、
書いたストーリーはあらすじだけしか知らないという
世界的に有名な作家。
最近、その、シェイクスピアが面白いと感じるようになった。
「オセロー」「リア王」「ジュリアス・シーザー」と、
様々な物事の合間をかいくぐりながら、
最近、立て続けに読んでいる。
これまでにも、学生時代に、そして、二十代の頃に、
何度か読んだことがあった。
あと、映画だったら、「ロミオとジュリエット」は、
オリビア・ハッセーがジュリエットを演じ、
ニーノ・ロータが音楽をやったヤツは三回くらい。
(コレは超オススメ!ジュリエットがホントに可愛い)

ロミオとジュリエット
また、ディカプリオがロミオで、
デズリーが「Kissing You」を劇中で歌った
斬新なバズ・ラーマン監督
(ムーラン・ルージュを撮った人)のヤツも観ていた。

ロミオ&ジュリエット (ベストヒット・セレクション)
他にも、確か知り合いに連れられて、
紀伊国屋ホールでシェイクスピアの何かを観たような気が、する。
でも、そんなシェイクスピアの何が面白いのか、
スゴいのか、僕にはずっとわからなかった。
だって、ジェットコースターばりの、
ものすごい展開があるわけでもなく、
目をみはるようなどんでん返しがあるわけでもない。
次々と登場人物が出てきて、独白して、去ってゆく。
そのうち、誰か(もしくは全員)が死んで、
話が終わる……そんな退屈なストーリーだと思っていた。
ところが、最近、本棚に積まれたままになっていた
「オセロー」を手にとって、通勤中に読み始めた。
これがとてつもなく面白い。
すっかり、ハマってしまった。
要は、シェイクスピアの作品は、「人生の見本市」みたいなものなのだ。
今も、世界中のあちこちで、
僕らが日々、様々な形で経験している悲喜こもごもが、
そこには所狭しと並べ立てられている。
シェイクスピアという人は、
実に人の心というものをよく知っていた人なのだ。
だから、シェイクスピアの作品を読んでいると、
いろんなことが自分自身のことのように思い当たって、
気がつくと、反省を始めていたりする。
シェイクスピアの悲劇は、「性格の悲劇」といわれているらしい。
ギリシャ古典劇が運命の悲劇だと言われるのに対し、
シェイクスピア劇は性格の悲劇だと評される。
ギリシャ劇では登場人物がどうしようもない不運に見舞われ、
運命の非情を嘆くよりほかにない。
だが、シェイクスピアの場合は、悲運も関わっているけれど、
この主人公でなかったならば、こうはならない、と
主人公の性格がドラマの結末に大きく影響しているケースが多い。
性格の悲劇と言われる所以である。
阿刀田高著「シェイクスピアを楽しむために」(新潮社)より
さまざまな性格の持ち主たちが登場する。
そして、彼らはそれぞれ、その性格に見合った暗い感情、
欲望や嫉妬、疑い、憎しみ。
そして、時には、無知、信じやすさ などに突き動かされ、破滅していくのだ。
このシェイクスピアの洞察に近いのが、
彼が生まれる千年以上前に説かれた
仏教の考え方だ。
仏教は、不幸の原因を「煩悩」と見る。
「百八煩悩」と呼ばれるほど、様々な種類があるのだが、
代表的なものは、「心の三毒」といわれる。
すなわち、
「貪(とん)」 足ることを知らない欲望、貪りの心
「瞋(じん)」 怒りの心
「痴(ち)」 無知、愚かな心
の三つの煩悩だ。
人が不幸になるのは運命のせいでもなく、環境のせいでもない。
欲望や怒り、無知といった思いに翻弄されて、
自分を見失うことこそが、不幸の原因である、
と仏教は見る。
この視座は、まさしくシェイクスピアと共通するものだ。
そう、シェイクスピアが描いたのは、こうした煩悩に翻弄され、自分を見失った人々の姿だ。
それを「悪いことをすると、こうなるよ」みたいな、
安っぽい勧善懲悪、単なる教訓物語ではなく、
実にリアルに見せつける。
確かに、こういう状況に追い込まれたら、
そうなってしまうかもな、と思わせるだけの説得力がある。
人の心の弱さをイヤというほど、写実的に描く。
驚くほど、リアルなのだ。
そこには、その作品を読んでいる読者自身の心も映し出される。
もちろん、ストーリーの展開だけでいうと、突っ込みどころはたくさんある。
その心理描写のリアルさのわりに、物語の展開や設定は、まったくリアルとは程遠い。
何でこんなに簡単にだまされるのか?
とか、
何で、結婚したばかりの奥さんを、こんなに簡単に殺そうと思うのか?
とか、いちいちひっかかることも多い。
でも、シェイクスピアの作品は、一つの象徴なのだ。
現代の小説に求められるようなリアリティを追求してはいない。
そこが気になる人も多いだろうが、おそらくこの象徴性のおかげで、
シェイクスピアの物語は時代を超えることができたのだろう。
ただ、そこに描かれた心の動きは、象徴ではない。
現代の作家の誰もが太刀打ちできないほど、リアルなのだ。
だからこそ、面白い。
そして、その面白さを味わうには、
多少なりとも、人生経験がいるのだろう。
多分、僕はほんの少しだけ大人になったのだ。
世の中には、大人にならなければ楽しめないものがたくさんある。
読書もその一つなのだろう。
大人のみなさん、
シェイクスピアをおすすめします。
ぜひ、ご一読を。
誰でもとりあえず、
名前だけは知ってるけど、
書いたストーリーはあらすじだけしか知らないという
世界的に有名な作家。
最近、その、シェイクスピアが面白いと感じるようになった。
「オセロー」「リア王」「ジュリアス・シーザー」と、
様々な物事の合間をかいくぐりながら、
最近、立て続けに読んでいる。
これまでにも、学生時代に、そして、二十代の頃に、
何度か読んだことがあった。
あと、映画だったら、「ロミオとジュリエット」は、
オリビア・ハッセーがジュリエットを演じ、
ニーノ・ロータが音楽をやったヤツは三回くらい。
(コレは超オススメ!ジュリエットがホントに可愛い)

ロミオとジュリエット
また、ディカプリオがロミオで、
デズリーが「Kissing You」を劇中で歌った
斬新なバズ・ラーマン監督
(ムーラン・ルージュを撮った人)のヤツも観ていた。

ロミオ&ジュリエット (ベストヒット・セレクション)
他にも、確か知り合いに連れられて、
紀伊国屋ホールでシェイクスピアの何かを観たような気が、する。
でも、そんなシェイクスピアの何が面白いのか、
スゴいのか、僕にはずっとわからなかった。
だって、ジェットコースターばりの、
ものすごい展開があるわけでもなく、
目をみはるようなどんでん返しがあるわけでもない。
次々と登場人物が出てきて、独白して、去ってゆく。
そのうち、誰か(もしくは全員)が死んで、
話が終わる……そんな退屈なストーリーだと思っていた。
ところが、最近、本棚に積まれたままになっていた
「オセロー」を手にとって、通勤中に読み始めた。
これがとてつもなく面白い。
すっかり、ハマってしまった。
要は、シェイクスピアの作品は、「人生の見本市」みたいなものなのだ。
今も、世界中のあちこちで、
僕らが日々、様々な形で経験している悲喜こもごもが、
そこには所狭しと並べ立てられている。
シェイクスピアという人は、
実に人の心というものをよく知っていた人なのだ。
だから、シェイクスピアの作品を読んでいると、
いろんなことが自分自身のことのように思い当たって、
気がつくと、反省を始めていたりする。
シェイクスピアの悲劇は、「性格の悲劇」といわれているらしい。
ギリシャ古典劇が運命の悲劇だと言われるのに対し、
シェイクスピア劇は性格の悲劇だと評される。
ギリシャ劇では登場人物がどうしようもない不運に見舞われ、
運命の非情を嘆くよりほかにない。
だが、シェイクスピアの場合は、悲運も関わっているけれど、
この主人公でなかったならば、こうはならない、と
主人公の性格がドラマの結末に大きく影響しているケースが多い。
性格の悲劇と言われる所以である。
阿刀田高著「シェイクスピアを楽しむために」(新潮社)より
さまざまな性格の持ち主たちが登場する。
そして、彼らはそれぞれ、その性格に見合った暗い感情、
欲望や嫉妬、疑い、憎しみ。
そして、時には、無知、信じやすさ などに突き動かされ、破滅していくのだ。
このシェイクスピアの洞察に近いのが、
彼が生まれる千年以上前に説かれた
仏教の考え方だ。
仏教は、不幸の原因を「煩悩」と見る。
「百八煩悩」と呼ばれるほど、様々な種類があるのだが、
代表的なものは、「心の三毒」といわれる。
すなわち、
「貪(とん)」 足ることを知らない欲望、貪りの心
「瞋(じん)」 怒りの心
「痴(ち)」 無知、愚かな心
の三つの煩悩だ。
人が不幸になるのは運命のせいでもなく、環境のせいでもない。
欲望や怒り、無知といった思いに翻弄されて、
自分を見失うことこそが、不幸の原因である、
と仏教は見る。
この視座は、まさしくシェイクスピアと共通するものだ。
そう、シェイクスピアが描いたのは、こうした煩悩に翻弄され、自分を見失った人々の姿だ。
それを「悪いことをすると、こうなるよ」みたいな、
安っぽい勧善懲悪、単なる教訓物語ではなく、
実にリアルに見せつける。
確かに、こういう状況に追い込まれたら、
そうなってしまうかもな、と思わせるだけの説得力がある。
人の心の弱さをイヤというほど、写実的に描く。
驚くほど、リアルなのだ。
そこには、その作品を読んでいる読者自身の心も映し出される。
もちろん、ストーリーの展開だけでいうと、突っ込みどころはたくさんある。
その心理描写のリアルさのわりに、物語の展開や設定は、まったくリアルとは程遠い。
何でこんなに簡単にだまされるのか?
とか、
何で、結婚したばかりの奥さんを、こんなに簡単に殺そうと思うのか?
とか、いちいちひっかかることも多い。
でも、シェイクスピアの作品は、一つの象徴なのだ。
現代の小説に求められるようなリアリティを追求してはいない。
そこが気になる人も多いだろうが、おそらくこの象徴性のおかげで、
シェイクスピアの物語は時代を超えることができたのだろう。
ただ、そこに描かれた心の動きは、象徴ではない。
現代の作家の誰もが太刀打ちできないほど、リアルなのだ。
だからこそ、面白い。
そして、その面白さを味わうには、
多少なりとも、人生経験がいるのだろう。
多分、僕はほんの少しだけ大人になったのだ。
世の中には、大人にならなければ楽しめないものがたくさんある。
読書もその一つなのだろう。
大人のみなさん、
シェイクスピアをおすすめします。
ぜひ、ご一読を。







