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ロサンゼルスに来ています。
今日は2日目の朝6時。
朝からパソコンに向かってます。
ずっとモバイルってやってなかったんですが、
つい最近買ったのが、ASUSのeeePC。
なんと49,800円。
最近、価格comで不動の人気第1位を続けている
小さな巨人です。(古い)

↑これが、ASUSのeeePC。
(画像暗くて見にくいけど、左横にあるのがipod nano第一世代なので
その小ささがわかると思います。ちなみにA5サイズ)
eeePC購入の理由は、そのシンプルさ。
僕なんかだと、wordとexcelが使えて、
あとはウェブが見れればよいので、
昔からずっと、それだけ不自由なくできる
安いパソコンでないかなーと思ってたんです。
(ていうか、余計な付加機能ばかりつけやがって、と憤りを感じていた)
eeePCはフラッシメモリ採用のため、本体には4Gしか容量がない。
(僕は16GのSDカードをハードディスクとして認証させ、全部で20Gにして使ってますが)
なので、割り切ってさまざまな機能を切り捨てて、安さと小ささに特化するしかなかった。
それが勝因だったみたいです。
結果的に、僕みたいな人とか、
あと、その対極にいるITスキルの高い人たちに爆発的に受けている。
このスペック的なショボさが、オタク心をくすぐるようだ。
「eeePC」で検索すると、
みなさん、「手のかかる子だよ」とうれしそうにボヤきながら、
さまざまにeeePCをチューンナップされている。
とにかく、愛すべきパソコンなんですよ。
買って一週間、僕はすっかりトリコになりました。
今までモバイルしなかったのは、
PDAだと小さすぎるし、ノートだと大きすぎ。
あと、携帯のメール、ちまちましててきらい。
たまに山手線でパソコンいじってる人がいるけど、
「重くない?」と何度、声をかけそうになったことか…。
eeePCだとすいてる電車の中だったら、
電車の中でもサクサク打てます。
ロスに来る前も、空港までの電車の中、
そして、チェックイン直前まで空港でキーボード叩いて、
一つ仕事終わらせました。
モバイルっていいね。
それでやっと本題。
ロスは無線LANが充実してるので、
どこでもモバイルできます。
(ホテルにも無線LANがあるんだけど、お金かかるので
LANケーブルにしました)
海外来ると、パソコンがあることの価値、
実感しますね。
わかんないこともすぐ調べられるし、
仕事も進められるし、
(時差が16時間ある分、逆にレスポンスが早かったりする。
こっちが寝てる間に、日本では仕事してくれてるので、
朝起きると、一つ仕事が終わっているって感じ。
これってビジネスチャンスかも)
ほんと、どこにいても、こいつ(eeePC)があれば、
そこは、自分の書斎、自分のオフィスになる。
(カッコいい、オレ)
TVは全部英語なので、言ってることほとんどわかんないので、
(つけっぱなしにしとくとそれはそれで面白いが)
とりあえず、iTunesで好きな音楽を聴くことにする。
すると、自分がどこにいるのか、わからなくなる。
このねじれたような感覚がたまらない。
奥さんとのメールのやりとりも何かときめくんだよね。
なんか平安貴族?和歌と手紙のやりとりだけで盛り上がるこの感じが。
(僕は別に和歌とか詠むわけではないが)
文通なんて古風な感じだが、たまにはいいもんだ。
日本にいると、やらないもんね。
skypeとかする人は、僕よりもさらにパソコンのすばらしさを実感するんだろうけどさ。
ウェブは時間と空間的な制約から人間を解放する。
こんな利いた風な言葉、よく言われることだけど、
ほんと、そうなんだな。
今回、ロスに来て、それを実感しました。
【関連記事】
eeePC900と今のeeePCを並べて比較した動画
さらに、ウィルコムまで…
eeePCブームに乗れ?
eeePCに使っているSDHCカード
eeePCのSDカードをHDD化する方法
今日は2日目の朝6時。
朝からパソコンに向かってます。
ずっとモバイルってやってなかったんですが、
つい最近買ったのが、ASUSのeeePC。
なんと49,800円。
最近、価格comで不動の人気第1位を続けている
小さな巨人です。(古い)

↑これが、ASUSのeeePC。
(画像暗くて見にくいけど、左横にあるのがipod nano第一世代なので
その小ささがわかると思います。ちなみにA5サイズ)
eeePC購入の理由は、そのシンプルさ。
僕なんかだと、wordとexcelが使えて、
あとはウェブが見れればよいので、
昔からずっと、それだけ不自由なくできる
安いパソコンでないかなーと思ってたんです。
(ていうか、余計な付加機能ばかりつけやがって、と憤りを感じていた)
eeePCはフラッシメモリ採用のため、本体には4Gしか容量がない。
(僕は16GのSDカードをハードディスクとして認証させ、全部で20Gにして使ってますが)
なので、割り切ってさまざまな機能を切り捨てて、安さと小ささに特化するしかなかった。
それが勝因だったみたいです。
結果的に、僕みたいな人とか、
あと、その対極にいるITスキルの高い人たちに爆発的に受けている。
このスペック的なショボさが、オタク心をくすぐるようだ。
「eeePC」で検索すると、
みなさん、「手のかかる子だよ」とうれしそうにボヤきながら、
さまざまにeeePCをチューンナップされている。
とにかく、愛すべきパソコンなんですよ。
買って一週間、僕はすっかりトリコになりました。
今までモバイルしなかったのは、
PDAだと小さすぎるし、ノートだと大きすぎ。
あと、携帯のメール、ちまちましててきらい。
たまに山手線でパソコンいじってる人がいるけど、
「重くない?」と何度、声をかけそうになったことか…。
eeePCだとすいてる電車の中だったら、
電車の中でもサクサク打てます。
ロスに来る前も、空港までの電車の中、
そして、チェックイン直前まで空港でキーボード叩いて、
一つ仕事終わらせました。
モバイルっていいね。
それでやっと本題。
ロスは無線LANが充実してるので、
どこでもモバイルできます。
(ホテルにも無線LANがあるんだけど、お金かかるので
LANケーブルにしました)
海外来ると、パソコンがあることの価値、
実感しますね。
わかんないこともすぐ調べられるし、
仕事も進められるし、
(時差が16時間ある分、逆にレスポンスが早かったりする。
こっちが寝てる間に、日本では仕事してくれてるので、
朝起きると、一つ仕事が終わっているって感じ。
これってビジネスチャンスかも)
ほんと、どこにいても、こいつ(eeePC)があれば、
そこは、自分の書斎、自分のオフィスになる。
(カッコいい、オレ)
TVは全部英語なので、言ってることほとんどわかんないので、
(つけっぱなしにしとくとそれはそれで面白いが)
とりあえず、iTunesで好きな音楽を聴くことにする。
すると、自分がどこにいるのか、わからなくなる。
このねじれたような感覚がたまらない。
奥さんとのメールのやりとりも何かときめくんだよね。
なんか平安貴族?和歌と手紙のやりとりだけで盛り上がるこの感じが。
(僕は別に和歌とか詠むわけではないが)
文通なんて古風な感じだが、たまにはいいもんだ。
日本にいると、やらないもんね。
skypeとかする人は、僕よりもさらにパソコンのすばらしさを実感するんだろうけどさ。
ウェブは時間と空間的な制約から人間を解放する。
こんな利いた風な言葉、よく言われることだけど、
ほんと、そうなんだな。
今回、ロスに来て、それを実感しました。
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さらに、ウィルコムまで…
eeePCブームに乗れ?
eeePCに使っているSDHCカード
eeePCのSDカードをHDD化する方法
出来れば世界を僕は塗り変えたい 「ワールド ワールド ワールド」/ASIAN KUNG-FU GENERATION
- ジャンル : 音楽
- スレッドテーマ : ASIAN KUNG-FU GENERATION
先日3/5、アジカンのNEW ALBUM「ワールド ワールド ワールド」が出た。

これを聴いて、つくづく思ったのは、
後藤正文はエラい
ということ。
彼は、いつも世界に対して、何か自分にできることをしようとしている。
そのために様々なものを見、聴き、学び、考えている。
そして、歌を産み出す。
演奏をしている。
歌っている。アルバムを作る。
僕は、彼のそんなひたむきさが好きだ。
(エラそうですみません。でも、僕がいつも心から思っていることです)
その人間性は、当然、作品にも反映される。
前作「ファンクラブ」は、夜をイメージさせるアルバムだった。
でもこのアルバムは、朝のイメージ。
「ファンクラブ」では、世界に対して何かしたいと思いながら、
結局、何もできない自分への嘆きが表現されていた。
もどかしさ、無力感、絶望。
そんなものがアルバム全体からたちこめてくるようだった。
「ワールドアパート」はそれを象徴するような曲。
六畳のアパートで、
9.11のワールドトレードセンターへのテロを知ったときの衝撃。
それを自分のこととして捉えようとする姿が描かれている。
遠く向こうで
ビルに虚しさが刺さって
六畳のアパートの 現実は麻痺した
目を塞いで
僕は君を思い描いて
想像の世界で 君を全部なくして
分かったよ
(「ワールドアパート」)
でも、彼は「ファンクラブ」を作り終えて、
「ワールド ワールド ワールド」を完成させるまでの間に、
世界に対して自分が出来ることを知ったのだろう。
アルバムリリースと同時に行ったインタビューで彼はこう答えている。
「僕たちができることっていうのはもう、
(略)
なによりもまず、自分の世界を塗り変えるのが最初なんですね、
僕にとってはね。
それができるような音楽を作って、そうすると、それを聴いた人の感じ方とか、
ものの見方だったりとかも、感性に訴えかけてその人の世界が変わるっていう、
そういう変え方しかできないんだけど。
でも俺はそれは、音楽にある、とても誇らしい魅力のひとつだと思うから。
その力を信じてるし。そうやって変えていくしかないですよね」
(「ROCKIN'ON JAPAN」2008年 03月号)

ROCKIN'ON JAPAN 2008年 03月号
「ワールド ワールド ワールド」には、
このインタビューに示された彼の考え方、
彼自身の「悟り」とでもいうべき思想が色濃く表れている。
暗い夜は終わりを告げ、夜明けがやってきた。
彼は高らかに希望を歌う。
紹介したい歌詞はたくさんあるのだが、
やはり、自分の耳で、自分の魂で、聴くのが一番だと思う。
買って決して損はないアルバム。
必聴です。
「転がる岩、君に朝が降る」
by ASIAN KUNG-FU GENERATION

これを聴いて、つくづく思ったのは、
後藤正文はエラい
ということ。
彼は、いつも世界に対して、何か自分にできることをしようとしている。
そのために様々なものを見、聴き、学び、考えている。
そして、歌を産み出す。
演奏をしている。
歌っている。アルバムを作る。
僕は、彼のそんなひたむきさが好きだ。
(エラそうですみません。でも、僕がいつも心から思っていることです)
その人間性は、当然、作品にも反映される。
前作「ファンクラブ」は、夜をイメージさせるアルバムだった。
でもこのアルバムは、朝のイメージ。
「ファンクラブ」では、世界に対して何かしたいと思いながら、
結局、何もできない自分への嘆きが表現されていた。
もどかしさ、無力感、絶望。
そんなものがアルバム全体からたちこめてくるようだった。
「ワールドアパート」はそれを象徴するような曲。
六畳のアパートで、
9.11のワールドトレードセンターへのテロを知ったときの衝撃。
それを自分のこととして捉えようとする姿が描かれている。
遠く向こうで
ビルに虚しさが刺さって
六畳のアパートの 現実は麻痺した
目を塞いで
僕は君を思い描いて
想像の世界で 君を全部なくして
分かったよ
(「ワールドアパート」)
でも、彼は「ファンクラブ」を作り終えて、
「ワールド ワールド ワールド」を完成させるまでの間に、
世界に対して自分が出来ることを知ったのだろう。
アルバムリリースと同時に行ったインタビューで彼はこう答えている。
「僕たちができることっていうのはもう、
(略)
なによりもまず、自分の世界を塗り変えるのが最初なんですね、
僕にとってはね。
それができるような音楽を作って、そうすると、それを聴いた人の感じ方とか、
ものの見方だったりとかも、感性に訴えかけてその人の世界が変わるっていう、
そういう変え方しかできないんだけど。
でも俺はそれは、音楽にある、とても誇らしい魅力のひとつだと思うから。
その力を信じてるし。そうやって変えていくしかないですよね」
(「ROCKIN'ON JAPAN」2008年 03月号)

ROCKIN'ON JAPAN 2008年 03月号
「ワールド ワールド ワールド」には、
このインタビューに示された彼の考え方、
彼自身の「悟り」とでもいうべき思想が色濃く表れている。
暗い夜は終わりを告げ、夜明けがやってきた。
彼は高らかに希望を歌う。
紹介したい歌詞はたくさんあるのだが、
やはり、自分の耳で、自分の魂で、聴くのが一番だと思う。
買って決して損はないアルバム。
必聴です。
「転がる岩、君に朝が降る」
by ASIAN KUNG-FU GENERATION

ラビリンス
前の記事でシェイクスピアについて書きましたが、
シェイクスピアつながりで一つ。
STINGのアルバム「ラビリンス」。
16世紀イギリス、シェイクスピアとほぼ同時期に生きていた
ジョン・ダウランドという宮廷詩人の楽曲を
リュートという楽器だけで再現したものです。
いま、聴いてますが、
リュートと歌声だけというシンプルな構成が何ともいえず、
いいですね。
友達はこれ聴いて、「暗い」って言ってましたが、
僕はすっかりはまってます。
現代を代表するロックスターSTINGが
ルネッサンス期の音楽を奏でてるのを聴くというのは、
やっぱり何とも不思議な感じがするものです。
(だって、シェイクスピアと同時代ですよ)
時代感覚が麻痺してしまうような、クラクラとした幻惑感。
もし、生まれ変わりというものがあるのなら、
STINGは、今の人生の前にも、今と同じようにやはり、
歌を歌っていたのではないか。
例えば、彼が16世紀のイギリスに生まれていたら、
いま、僕が聴いているこのアルバムのように…。
そんな妄想をふくらませながら、
STINGの歌声に耳を傾けるうちに、
夜は静かにふけていきます。
とにかく、そんなことまで考えてしまうような、
不思議な魅力を持つアルバム。
うーん、いい音楽に出合えた!!
そう。あの有名な、シェイクスピア。
誰でもとりあえず、
名前だけは知ってるけど、
書いたストーリーはあらすじだけしか知らないという
世界的に有名な作家。
最近、その、シェイクスピアが面白いと感じるようになった。
「オセロー」「リア王」「ジュリアス・シーザー」と、
様々な物事の合間をかいくぐりながら、
最近、立て続けに読んでいる。
これまでにも、学生時代に、そして、二十代の頃に、
何度か読んだことがあった。
あと、映画だったら、「ロミオとジュリエット」は、
オリビア・ハッセーがジュリエットを演じ、
ニーノ・ロータが音楽をやったヤツは三回くらい。
(コレは超オススメ!ジュリエットがホントに可愛い)

ロミオとジュリエット
また、ディカプリオがロミオで、
デズリーが「Kissing You」を劇中で歌った
斬新なバズ・ラーマン監督
(ムーラン・ルージュを撮った人)のヤツも観ていた。

ロミオ&ジュリエット (ベストヒット・セレクション)
他にも、確か知り合いに連れられて、
紀伊国屋ホールでシェイクスピアの何かを観たような気が、する。
でも、そんなシェイクスピアの何が面白いのか、
スゴいのか、僕にはずっとわからなかった。
だって、ジェットコースターばりの、
ものすごい展開があるわけでもなく、
目をみはるようなどんでん返しがあるわけでもない。
次々と登場人物が出てきて、独白して、去ってゆく。
そのうち、誰か(もしくは全員)が死んで、
話が終わる……そんな退屈なストーリーだと思っていた。
ところが、最近、本棚に積まれたままになっていた
「オセロー」を手にとって、通勤中に読み始めた。
これがとてつもなく面白い。
すっかり、ハマってしまった。
要は、シェイクスピアの作品は、「人生の見本市」みたいなものなのだ。
今も、世界中のあちこちで、
僕らが日々、様々な形で経験している悲喜こもごもが、
そこには所狭しと並べ立てられている。
シェイクスピアという人は、
実に人の心というものをよく知っていた人なのだ。
だから、シェイクスピアの作品を読んでいると、
いろんなことが自分自身のことのように思い当たって、
気がつくと、反省を始めていたりする。
シェイクスピアの悲劇は、「性格の悲劇」といわれているらしい。
ギリシャ古典劇が運命の悲劇だと言われるのに対し、
シェイクスピア劇は性格の悲劇だと評される。
ギリシャ劇では登場人物がどうしようもない不運に見舞われ、
運命の非情を嘆くよりほかにない。
だが、シェイクスピアの場合は、悲運も関わっているけれど、
この主人公でなかったならば、こうはならない、と
主人公の性格がドラマの結末に大きく影響しているケースが多い。
性格の悲劇と言われる所以である。
阿刀田高著「シェイクスピアを楽しむために」(新潮社)より
さまざまな性格の持ち主たちが登場する。
そして、彼らはそれぞれ、その性格に見合った暗い感情、
欲望や嫉妬、疑い、憎しみ。
そして、時には、無知、信じやすさ などに突き動かされ、破滅していくのだ。
このシェイクスピアの洞察に近いのが、
彼が生まれる千年以上前に説かれた
仏教の考え方だ。
仏教は、不幸の原因を「煩悩」と見る。
「百八煩悩」と呼ばれるほど、様々な種類があるのだが、
代表的なものは、「心の三毒」といわれる。
すなわち、
「貪(とん)」 足ることを知らない欲望、貪りの心
「瞋(じん)」 怒りの心
「痴(ち)」 無知、愚かな心
の三つの煩悩だ。
人が不幸になるのは運命のせいでもなく、環境のせいでもない。
欲望や怒り、無知といった思いに翻弄されて、
自分を見失うことこそが、不幸の原因である、
と仏教は見る。
この視座は、まさしくシェイクスピアと共通するものだ。
そう、シェイクスピアが描いたのは、こうした煩悩に翻弄され、自分を見失った人々の姿だ。
それを「悪いことをすると、こうなるよ」みたいな、
安っぽい勧善懲悪、単なる教訓物語ではなく、
実にリアルに見せつける。
確かに、こういう状況に追い込まれたら、
そうなってしまうかもな、と思わせるだけの説得力がある。
人の心の弱さをイヤというほど、写実的に描く。
驚くほど、リアルなのだ。
そこには、その作品を読んでいる読者自身の心も映し出される。
もちろん、ストーリーの展開だけでいうと、突っ込みどころはたくさんある。
その心理描写のリアルさのわりに、物語の展開や設定は、まったくリアルとは程遠い。
何でこんなに簡単にだまされるのか?
とか、
何で、結婚したばかりの奥さんを、こんなに簡単に殺そうと思うのか?
とか、いちいちひっかかることも多い。
でも、シェイクスピアの作品は、一つの象徴なのだ。
現代の小説に求められるようなリアリティを追求してはいない。
そこが気になる人も多いだろうが、おそらくこの象徴性のおかげで、
シェイクスピアの物語は時代を超えることができたのだろう。
ただ、そこに描かれた心の動きは、象徴ではない。
現代の作家の誰もが太刀打ちできないほど、リアルなのだ。
だからこそ、面白い。
そして、その面白さを味わうには、
多少なりとも、人生経験がいるのだろう。
多分、僕はほんの少しだけ大人になったのだ。
世の中には、大人にならなければ楽しめないものがたくさんある。
読書もその一つなのだろう。
大人のみなさん、
シェイクスピアをおすすめします。
ぜひ、ご一読を。
誰でもとりあえず、
名前だけは知ってるけど、
書いたストーリーはあらすじだけしか知らないという
世界的に有名な作家。
最近、その、シェイクスピアが面白いと感じるようになった。
「オセロー」「リア王」「ジュリアス・シーザー」と、
様々な物事の合間をかいくぐりながら、
最近、立て続けに読んでいる。
これまでにも、学生時代に、そして、二十代の頃に、
何度か読んだことがあった。
あと、映画だったら、「ロミオとジュリエット」は、
オリビア・ハッセーがジュリエットを演じ、
ニーノ・ロータが音楽をやったヤツは三回くらい。
(コレは超オススメ!ジュリエットがホントに可愛い)

ロミオとジュリエット
また、ディカプリオがロミオで、
デズリーが「Kissing You」を劇中で歌った
斬新なバズ・ラーマン監督
(ムーラン・ルージュを撮った人)のヤツも観ていた。

ロミオ&ジュリエット (ベストヒット・セレクション)
他にも、確か知り合いに連れられて、
紀伊国屋ホールでシェイクスピアの何かを観たような気が、する。
でも、そんなシェイクスピアの何が面白いのか、
スゴいのか、僕にはずっとわからなかった。
だって、ジェットコースターばりの、
ものすごい展開があるわけでもなく、
目をみはるようなどんでん返しがあるわけでもない。
次々と登場人物が出てきて、独白して、去ってゆく。
そのうち、誰か(もしくは全員)が死んで、
話が終わる……そんな退屈なストーリーだと思っていた。
ところが、最近、本棚に積まれたままになっていた
「オセロー」を手にとって、通勤中に読み始めた。
これがとてつもなく面白い。
すっかり、ハマってしまった。
要は、シェイクスピアの作品は、「人生の見本市」みたいなものなのだ。
今も、世界中のあちこちで、
僕らが日々、様々な形で経験している悲喜こもごもが、
そこには所狭しと並べ立てられている。
シェイクスピアという人は、
実に人の心というものをよく知っていた人なのだ。
だから、シェイクスピアの作品を読んでいると、
いろんなことが自分自身のことのように思い当たって、
気がつくと、反省を始めていたりする。
シェイクスピアの悲劇は、「性格の悲劇」といわれているらしい。
ギリシャ古典劇が運命の悲劇だと言われるのに対し、
シェイクスピア劇は性格の悲劇だと評される。
ギリシャ劇では登場人物がどうしようもない不運に見舞われ、
運命の非情を嘆くよりほかにない。
だが、シェイクスピアの場合は、悲運も関わっているけれど、
この主人公でなかったならば、こうはならない、と
主人公の性格がドラマの結末に大きく影響しているケースが多い。
性格の悲劇と言われる所以である。
阿刀田高著「シェイクスピアを楽しむために」(新潮社)より
さまざまな性格の持ち主たちが登場する。
そして、彼らはそれぞれ、その性格に見合った暗い感情、
欲望や嫉妬、疑い、憎しみ。
そして、時には、無知、信じやすさ などに突き動かされ、破滅していくのだ。
このシェイクスピアの洞察に近いのが、
彼が生まれる千年以上前に説かれた
仏教の考え方だ。
仏教は、不幸の原因を「煩悩」と見る。
「百八煩悩」と呼ばれるほど、様々な種類があるのだが、
代表的なものは、「心の三毒」といわれる。
すなわち、
「貪(とん)」 足ることを知らない欲望、貪りの心
「瞋(じん)」 怒りの心
「痴(ち)」 無知、愚かな心
の三つの煩悩だ。
人が不幸になるのは運命のせいでもなく、環境のせいでもない。
欲望や怒り、無知といった思いに翻弄されて、
自分を見失うことこそが、不幸の原因である、
と仏教は見る。
この視座は、まさしくシェイクスピアと共通するものだ。
そう、シェイクスピアが描いたのは、こうした煩悩に翻弄され、自分を見失った人々の姿だ。
それを「悪いことをすると、こうなるよ」みたいな、
安っぽい勧善懲悪、単なる教訓物語ではなく、
実にリアルに見せつける。
確かに、こういう状況に追い込まれたら、
そうなってしまうかもな、と思わせるだけの説得力がある。
人の心の弱さをイヤというほど、写実的に描く。
驚くほど、リアルなのだ。
そこには、その作品を読んでいる読者自身の心も映し出される。
もちろん、ストーリーの展開だけでいうと、突っ込みどころはたくさんある。
その心理描写のリアルさのわりに、物語の展開や設定は、まったくリアルとは程遠い。
何でこんなに簡単にだまされるのか?
とか、
何で、結婚したばかりの奥さんを、こんなに簡単に殺そうと思うのか?
とか、いちいちひっかかることも多い。
でも、シェイクスピアの作品は、一つの象徴なのだ。
現代の小説に求められるようなリアリティを追求してはいない。
そこが気になる人も多いだろうが、おそらくこの象徴性のおかげで、
シェイクスピアの物語は時代を超えることができたのだろう。
ただ、そこに描かれた心の動きは、象徴ではない。
現代の作家の誰もが太刀打ちできないほど、リアルなのだ。
だからこそ、面白い。
そして、その面白さを味わうには、
多少なりとも、人生経験がいるのだろう。
多分、僕はほんの少しだけ大人になったのだ。
世の中には、大人にならなければ楽しめないものがたくさんある。
読書もその一つなのだろう。
大人のみなさん、
シェイクスピアをおすすめします。
ぜひ、ご一読を。
もしも 君が気高い孤独なら 「COYOTE」/佐野元春
- ジャンル : 音楽
- スレッドテーマ : 音楽PV視聴無料動画
荒地の何処かで
by佐野元春
佐野元春は、僕よりの前の世代のロックスターだ。
僕が知っていたのは、「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」「約束の橋」くらいだった。
前の世代のロックを聴くのは難しい。
ジェネレーションギャップが生まれ、
まるで親父と息子の価値観が衝突するように、
それぞれの世代が感じる「かっこよさ」がぶつかってしまう。
かつて一度、佐野元春のベスト盤を聴いたことがあったが、
あまりのアレンジの古さに愕然とした。
彼の音は、僕の耳にはなじまなかった。
もう二度と、彼の音楽を聴くことはないだろう。
そう思っていた。
このアルバム、「COYOTE」に出会うまでは。
NHKの「SONGS」での彼の演奏を聴いて、
僕の中の「佐野元春」像はガラガラと崩れ落ちた。
すごい。カッコイイじゃん。
音が、現在(いま)の音なのだ。
全然、古くない!!
それもそのはず、今回のアルバム「COYOTE」は、
長年連れ添ったホーボー・キング・バンド(HKB)ではなく、
「"佐野元春を聴いてきた世代"のミュージシャン」と制作したのだという。
佐野元春曰く、「多感な時期に、僕の音楽を聴いてくれていた彼ら」
(つまり、このアルバムを創ったメンバー)の一人には、
僕の大好きな「Curly Giraffe」こと、「高桑圭」(Great3)も参加している。
(彼も、現在のロックの音を作っている一人だ)
これで、カッコ悪いわけがない。
ジェネレーションが違うミュージシャンが、
こんな風に新しい音楽を作り上げるというのは見ていて悪くない光景だ。
若い世代は、年長者をリスペクトし、
古い世代は、新しい感覚に大きな刺激を受け、触発されて
これまでになかったようなケミストリーを生み出していく。
こんな素敵な奇跡は、海の向こうでもしばしば起こっていることだ。
2年前、Black Eyed PeasのWilliamをプロデューサーに迎え、
アルバム「Timeless」で世界的ヒットを飛ばし、
最近またもや、Williamと共同プロデュースで
最新アルバム「Encanto」(日本語盤のタイトルはなぜか「モーニング・イン・リオ」。ドリカムもフューチャリングされている)を出したボサノバの雄、Sergio Mendes。
(両方とも、本当にいいアルバムです。ぜひ、聴いてください)
これなんかも、異なるジェネレーションが生み出した素敵な奇跡だ。
つねに走り続けるためには、つねに変わり続けなくてはいけない。
佐野元春は、そのための手段として、
若い世代とのコラボレーションを選んだ。
これは、とてもすごいことだと思う。
佐野元春は、3月13日、あと一週間で52歳になるそうだ。
同世代のミュージシャンのうち、どれだけの人が、
彼のように変わり続けているだろうか。
走り続けること。
挑戦し続けること。
変わり続けること。
いい歳のとり方を、僕はこのアルバム「COYOTE」を通じて、
佐野元春から学んだような気がする。
たぶん、僕は、このアルバムを
長い間、ずっと聴き続けるだろう。
【関連記事】
佐野元春「DaisyMusic」のYouTubeチャンネルが開設
HARRYの「GATEWAY」を聴いてみた 〜「変わる」ということについて〜
by佐野元春
佐野元春は、僕よりの前の世代のロックスターだ。
僕が知っていたのは、「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」「約束の橋」くらいだった。
前の世代のロックを聴くのは難しい。
ジェネレーションギャップが生まれ、
まるで親父と息子の価値観が衝突するように、
それぞれの世代が感じる「かっこよさ」がぶつかってしまう。
かつて一度、佐野元春のベスト盤を聴いたことがあったが、
あまりのアレンジの古さに愕然とした。
彼の音は、僕の耳にはなじまなかった。
もう二度と、彼の音楽を聴くことはないだろう。
そう思っていた。
このアルバム、「COYOTE」に出会うまでは。
NHKの「SONGS」での彼の演奏を聴いて、
僕の中の「佐野元春」像はガラガラと崩れ落ちた。
すごい。カッコイイじゃん。
音が、現在(いま)の音なのだ。
全然、古くない!!
それもそのはず、今回のアルバム「COYOTE」は、
長年連れ添ったホーボー・キング・バンド(HKB)ではなく、
「"佐野元春を聴いてきた世代"のミュージシャン」と制作したのだという。
佐野元春曰く、「多感な時期に、僕の音楽を聴いてくれていた彼ら」
(つまり、このアルバムを創ったメンバー)の一人には、
僕の大好きな「Curly Giraffe」こと、「高桑圭」(Great3)も参加している。
(彼も、現在のロックの音を作っている一人だ)
これで、カッコ悪いわけがない。
ジェネレーションが違うミュージシャンが、
こんな風に新しい音楽を作り上げるというのは見ていて悪くない光景だ。
若い世代は、年長者をリスペクトし、
古い世代は、新しい感覚に大きな刺激を受け、触発されて
これまでになかったようなケミストリーを生み出していく。
こんな素敵な奇跡は、海の向こうでもしばしば起こっていることだ。
2年前、Black Eyed PeasのWilliamをプロデューサーに迎え、
アルバム「Timeless」で世界的ヒットを飛ばし、
最近またもや、Williamと共同プロデュースで
最新アルバム「Encanto」(日本語盤のタイトルはなぜか「モーニング・イン・リオ」。ドリカムもフューチャリングされている)を出したボサノバの雄、Sergio Mendes。
(両方とも、本当にいいアルバムです。ぜひ、聴いてください)
これなんかも、異なるジェネレーションが生み出した素敵な奇跡だ。
つねに走り続けるためには、つねに変わり続けなくてはいけない。
佐野元春は、そのための手段として、
若い世代とのコラボレーションを選んだ。
これは、とてもすごいことだと思う。
佐野元春は、3月13日、あと一週間で52歳になるそうだ。
同世代のミュージシャンのうち、どれだけの人が、
彼のように変わり続けているだろうか。
走り続けること。
挑戦し続けること。
変わり続けること。
いい歳のとり方を、僕はこのアルバム「COYOTE」を通じて、
佐野元春から学んだような気がする。
たぶん、僕は、このアルバムを
長い間、ずっと聴き続けるだろう。
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こんな思いを何と呼ぶのかい? 「オーダーメイド」/RADWIMPS
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オーダーメイド
byRADWIMPS
RADWIMPS。
らどうぃんぷす、と読む。
Wikipediaによると、 バンド名の意味は、
すごい、いかしたという意味の「RAD」(米英語の軽い俗語)と 弱虫、意気地なしという意味の「WIMP」を組み合わせたものであり、 かっこいい弱虫・見事な意気地なし・マジすげぇビビり野郎などといった意味である。
ということらしい。
このオーダーメイド、という曲、
歌詞の根底にある発想が、すごい。
まるでSF。
あるいは神話。
人生というものを考える上での一種の哲学的な寓話のような作品だ。
この歌は、問いかけと回答の対話によって成り立っている。
そして、その舞台は、人間が生まれてくる前の世界だ。
生まれてくる前の世界で、「僕」は誰かに
たとえば、こんな風に問いかけられる。
「未来と過去 どちらか一つを
見れるようにしてあげるからさ
どっちがいい?」
その質問に、「僕」は、一つひとつ答えてゆく。
(今の質問には「過去」と答える)
それが即ち、オーダーとなり、
そのオーダーに沿ったかたちで、
自分がつくられてゆく。
つまり、何がオーダーメイドかというと、
僕たち人間が、ということだ。
でも、実際に生まれてきた僕らは、
自分自身の望みどおり、オーダー通りに、
人生が展開している、
という事実を忘れてしまっているのだ。
思い通りにいかなくて、怒ったり、恨んだり、
不平不満を言ったり、悲しくなって涙を流したりする。
でも、それだって、自分自身が嘆いている人生だって、
自分が生まれてくる前に、
望んだものかもしれない。
だとしたら、どうだろうか?
「望み通り全てが叶えられているでしょう?
だから涙に暮れる
その顔をちゃんと見せてよ
さぁ 誇らしげに見せてよ」
苦しい、悲しい、と思っていたことだって、
自分自身で決めてきた望みどおりのことなのかもしれない。
そう考えてみたら、少し、目の前の景色は違って見えるかもしれない。
僕は、この歌を作ったRADWIMPSを天才かもしれないと思った。
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RADWIMPSの「バグッバイ」〜 僕が生まれる前と僕が消えた後はなんか違ってほしい〜
byRADWIMPS
RADWIMPS。
らどうぃんぷす、と読む。
Wikipediaによると、 バンド名の意味は、
すごい、いかしたという意味の「RAD」(米英語の軽い俗語)と 弱虫、意気地なしという意味の「WIMP」を組み合わせたものであり、 かっこいい弱虫・見事な意気地なし・マジすげぇビビり野郎などといった意味である。
ということらしい。
このオーダーメイド、という曲、
歌詞の根底にある発想が、すごい。
まるでSF。
あるいは神話。
人生というものを考える上での一種の哲学的な寓話のような作品だ。
この歌は、問いかけと回答の対話によって成り立っている。
そして、その舞台は、人間が生まれてくる前の世界だ。
生まれてくる前の世界で、「僕」は誰かに
たとえば、こんな風に問いかけられる。
「未来と過去 どちらか一つを
見れるようにしてあげるからさ
どっちがいい?」
その質問に、「僕」は、一つひとつ答えてゆく。
(今の質問には「過去」と答える)
それが即ち、オーダーとなり、
そのオーダーに沿ったかたちで、
自分がつくられてゆく。
つまり、何がオーダーメイドかというと、
僕たち人間が、ということだ。
でも、実際に生まれてきた僕らは、
自分自身の望みどおり、オーダー通りに、
人生が展開している、
という事実を忘れてしまっているのだ。
思い通りにいかなくて、怒ったり、恨んだり、
不平不満を言ったり、悲しくなって涙を流したりする。
でも、それだって、自分自身が嘆いている人生だって、
自分が生まれてくる前に、
望んだものかもしれない。
だとしたら、どうだろうか?
「望み通り全てが叶えられているでしょう?
だから涙に暮れる
その顔をちゃんと見せてよ
さぁ 誇らしげに見せてよ」
苦しい、悲しい、と思っていたことだって、
自分自身で決めてきた望みどおりのことなのかもしれない。
そう考えてみたら、少し、目の前の景色は違って見えるかもしれない。
僕は、この歌を作ったRADWIMPSを天才かもしれないと思った。
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